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■内供奉ないぐぶは宮中の内道場で、ご祈祷をする僧侶の役職名です。 ■内供ないぐ供奉ぐぶなどとも呼びます。 ■中国に習い置かれた役職です。 |
奈良時代の末頃、仏教は学問的な性格の他に、呪術的要素を含んだ新しい一面を持つようになります。 医療の知識があり、呪術的な力を具えた禅の僧侶は看病禅師と呼ばれ、宮中の内道場において皇族や貴族などの病気平癒を祈りました。中には、実際に調薬などに優れた僧侶もいたようです。 看病禅師が政治的な力を持つようになると、新たに十禅師という役職が出来ました。十禅師は10人の選ばれた禅師の意味で、選定にあたり清行の者という条件が付けられました。 十禅師は終身制で、欠員が出ると補充されました。また、特定のお寺で鎮護国家を祈る僧侶も、十禅師と呼ばれました。
宝亀3年(772年)中国に習い内供奉の役職が出来ます。十禅師が兼職したので内供奉十禅師ないくぶじゅうぜんじと呼ばれました。 この頃から密教が成熟し、内供奉十禅師は密教系の天台宗や真言宗の僧侶が多く勤めることになります。 内供奉十禅師には、官からお米が支給されました。内供奉が始まった宝亀3年2月21日付けの太政官符には、 童子は通常20歳未満の若者で、僧侶の身の回りの世話や外出時のお供、法要の手伝い、その他雑用などをこなしました。内供奉には、童子二人が付きました。 お米で給料を支給していた時代は、一日当たり男は5合、女は3合の計算でした。 単純にお米10kg 4,000円で換算すると、2升で約1,333円です。日給1,333円は薄給のようにも思えますが、食が保障され、托鉢等に時間を割かずに、祈願に専念できることが重要だったのです。
内供奉の仕事は、宮中の内道場で御斎会ごさいえの読師とくしや夜居僧よいのそうなど、国家安泰や皇族の健康を祈ることでした。 御斎会は、毎年1月8日から7日間、宮中の大極殿に廬遮那仏るしゃなぶつなどを安置して、金光明最勝王経を講義して国家安泰を祈る法要です。 読師は法要でお経を読む人。それに対して解説する人=講義をする人を講師こうじといいます。読師と講師は仏様の前で相対します。左が読師、右が講師です。 夜居僧は、夜、天皇の寝所近くに詰めて、天皇の安穏を祈ります。 |
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