内道場

ないどうじょう
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宮中に設けられた仏教の道場。
内道場は内裏寺院、内寺とも呼ばれます。
仏像を安置し、お経翻訳や仏事・修行などを行った部屋やお堂をさします。

 国家仏教の拠点として

宮中に設けられた仏教の道場を内道場といいます。中国では西暦370年頃から、内道場に類するものが設けられた、と伝えられています。そして1300年位まで、国家仏教の拠点として著名な僧侶の活躍の場となりました。

内道場では、お経の収集・翻訳、法要、祈祷、灌頂などが行われました。

日本では西暦670年頃から内裏に仏殿があったようです。834年には空海が宮中に内道場を置くことを許され、真言院しんごんいんと呼ばれる内道場を造りました。

 真言院の規模は

真言院は平安京の大内裏にありました。宮中真言院、修法院、曼荼羅道場とも呼ばれます。規模は記録によると、

桧皮葺で五間四面。
その母屋は板敷で、東西に各一壇の修法壇があり、
東側の壇は、西向きに胎蔵界曼荼羅
西側の壇は、東向きに金剛界曼荼羅、
その他、五大尊十二天の軸が掛けられていました。

この建物の他に、
東側に桧皮葺の五間四面の長者坊、
西側には同じく桧皮葺の五間三間の護摩堂、
北側には板葺き七間三間の伴僧宿所、
伴僧宿所の北に九間三間の厨所、
北門の左右に雑舎があった、とされています。

七間三間の伴僧宿所と九間三間の厨所を比べると、字面からは厨所が大きく見えますが、この当時は文字通り柱と柱の間の数を示していて、長さの表記ではありません。したがって、どちらが大きな建物であったかは、なんとも言えません。

 

後七日御修法道場略図

 

 

 後七日御修法 ごしちにちみしゅほう or ごしちにちみしほ

真言院では、天皇の身体安穏と国家の安泰・繁栄を祈る、後七日御修法が重要な行事でした。後七日御修法は、元日から7日までの前七日節会ぜんしちにちせちえ(神官だけが参加する行事)があり、その後の7日間の修法と言う意味です。

真言院が置かれた翌年1月8日から14日まで行われたのが最初で、以後、国家守護の大法として恒例となります。

宮中御修法、宮中後七日御修法、真言院御修法、後七日法などと、いろいろな呼び名があります。東密所伝極秘の大法とされる真言宗の重要な儀式で、その作法は法要を行う中心人物一人だけに伝承する慣わしになっています。

後七日御修法は、真言院が大風で倒壊したり、火災で消失したりして、たびたび中断します。やがて修法場所が、真言院から紫宸殿や禁裏外に移され、さらに朝廷の衰微とともに御修法は行われず荒廃し、170年ほどブランクがあり、明治維新で廃止されます。

明治15年勅許を得て再興し、一部変更されましたが、現在は東寺灌頂院で行われています。

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