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■護摩の灰の偽物が売られました。 ■転じて、旅人をだまして金品をまき上げる泥棒を、護摩の灰と呼びました。 ■ゴマカスは、不利益にならないよう、取りつくろうこと。その語源は? |
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お護摩では、五穀をはじめとして、色々なお供物や護摩木を燃します。お護摩が終わると、少量の灰が残ります。灰と言っても、香炉や火鉢の灰とは異なり、ほとんどが消し炭のような状態です。純粋に自然の物ばかりなので、完全燃焼した部分の灰はごく軽く、火勢で吹き飛んでしまいます。 この消し炭状態の灰は、古くから珍重されています。磨り潰して粘土状にして仏像を造ったり、そのままの状態でお守りとしたり、時には薬のように服用されることもあります。
貴重な物となると、必ず出回るのが偽物です。灰ですから、見分けもつきにくく、一回のお護摩で得られる分量はわずかです。したがって有名寺院の護摩の灰ともなれば、なおさら偽物が多くなり、護摩の灰=悪人の代名詞となりました。 胡麻の蠅ごまのはえは、護摩の灰ごまのはいの聞き違え、と言われています。蠅のしつこくつきまとう、うっとうしさが悪人と重なったのでしょう。
江戸時代ころから、一般庶民の旅行が比較的容易になり、霊場参拝に出かける人が増えます。この旅人をねらい、同じ旅人のふりをして、有名寺院の護摩の灰と称した偽物を売ったり、金品をだましとったりする者が横行しました。 霊場参拝の人たちは、尊いお護摩の灰をお土産に持って帰ることが多かったのです。中には霊場参拝といいつつも、目的のお寺には行かず、他の場所で遊んでしまう者もいました。このような不心得者が、特に護摩の灰にだまされたのです。
天長7年830年7月7日、江ノ島の弁天様で空海が一万座の護摩を焚き、その灰で自ら七体の仏像を造った、と伝えられています。ひとつは江ノ島神社にあり、あとは・・・ 大きさはA4版位で厚みは約3cm、表は弁天様を中心として十五童子などが曼荼羅風にレリーフ状に描かれ、裏は空海の左の手形と花押と由緒が書かれています。 真作ならば国宝物ですが、江戸時代に多数の複製品が作られ、全国に点在しています。
キーボードたたくと、誤魔化す、と変換されますが、これは当て字と言われ、次のような説があります。 護摩に紛らかす、でゴマカス。護摩木には願い事を書きますが、燃してしまうと何が書いてあったか分からなくなってしまう=護摩化す。 胡麻に由来する説もあります。江戸時代の胡麻を使ったお菓子で、中空のものがあり、見掛け倒しからゴマカス。今ひとつは、まずいお菓子でも、胡麻をかけるとおいしく食べられるのでゴマカス。 |
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