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■仏様にも三つの不可能なことがある? ■結果を変えることは出来ない。 ■無縁の人を救うことは出来ない。 ■すべてのモノを救うことは出来ない。 |
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お釈迦様は、自分は亡くなっても法(真理)は不滅であるから、自分の亡き後は法をよりどころとするように、と遺言しました。 しかし、弟子達はお釈迦様の人格を通して信仰していたので、説かれた法は不滅の身である=法身ほっしん、お釈迦様の現実の身体は=生身しょうしん、と二通りの捉え方をして、よりどころとしました。 この二身説から出発して、時代とともに、お釈迦様に代わる仏様が登場したり、前世は?未来は?など、さまざま角度から考えが加えられ、三身説や四身説、十身説などが生まれました。
いろいろな仏身説のなかで三身説がよく知られています。仏様の存在の仕方を、法身ほっしん応身おうじん報身ほうじんの三通りに分ける見方です。 法身は法の身体、法は教え=真理で、教えは永遠不滅の真理の仏様として存在し続けます。 応身は対象に応じて、いろいろな姿で現れる仏様です。お釈迦様はこの応身にあたります。お釈迦様は現実の人ですから、この世で生きている時間に限りがあります。 報身は仏様となる為の行ぎょうを重ね、その結果として法身と応身と、両方の要素を持つ仏様です。
三身説の応身の立場で眺めると、なんでも出来る仏様にも出来ないことが三つあることになります。これを三不能といいます。 1.前世の行いによる結果は、変えることが出来ない。 2.縁の無いモノは導くことは出来ない。 3.人をはじめとして、すべての生き物をもれなく救うことは出来ない。 仏様でも不可能な事があるのではなく、不可能を不可能と悟ったのが仏様、との見方もあります。また、2番や3番の解決策として、○○菩薩と呼ばれる仏様たちの存在がある、ともいえます。
仏教には、大きな二つの流れがあります。ひとつは保守的なグループ、もうひとつは進歩的なグループです。三不能は保守的に見た場合で、進歩的な見方では、 1.定業じょうごうもまた牢久ならず。 となって不可能ではなくなります。 |
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