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■是とも非とも答えを出さないこと=無記。 ■お釈迦様は、形而上学的な質問については、判断を示さなかったと言われます。 ■仏教の実践から外れてしまうような、無用な論争を避けたようです。 |
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香典の表書きに、御霊前と書くか、御仏前と書くか、話題になることがあります。四十九日までが御霊前で、以降は仏様になるから御仏前、いや、亡くなった時点で即成仏するから、いつでも御仏前でOK、などいろいろな説があります。 お釈迦様は霊について、どのように説かれているでしょうか。霊をめぐる問題は、昔の人も強い関心を寄せていました。 しかし、まだ誰も死後の世界をしっかりと見てきた者はいません。
答えの出ない問題は、修行する者にとって、際限のない議論に陥るだけで、何の利益にもならない。係るべきでない、とお釈迦様は考へ、いくつかの質問に対し、答えを出しませんでした。これを無記といいます。 仏教では記という言葉は、いずれかに決定する、という意味で使われます。したがって無記は、どちらとも決めない、と言うことで無記答とか捨置記しゃちきとも言います。 逆に授記じゅきと言うと、解答する、説明する、予言する、保証する、の意味になります。無記に関係することは、いろいろな場面に登場します。 霊の問題だけではありません。いろいろなことを、善、不善、どちらでもない、の三者に分ける場合の、どちらでもない、も無記といいます。どちらでもない=中間、ではありません。
善、不善、に関する無記は、なじみの少ない言葉が並ぶ難解な世界です。一般的には比較的解りやすい、十四無記が有名です。 内容は下記のようなものです。十四不可記、十四難じゅうしなんともいいます。
ややこしい言い回しですが、ようするに霊魂の存在や、世界の成り立ちについて、他の宗教者から寄せられた質問です。 これらの質問に対し、お釈迦様は答えを出しませんでした。質問のまとめ方によって、十無記、十六無記とされる場合もあります。 |
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