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■僧位そういは、僧侶の徳や学識に応じて与えられた位階です。 ■僧鋼そうごうは、僧侶の綱維こうい=規律を司る者、という意味です。 ■僧鋼は、大きい寺の管理や僧侶の規律を司る職でした。 |
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僧綱は624年に、僧侶が事件を起こしたことをきっかけに、中国の僧官そうかんという制度にならって作られました。僧綱は、僧正そうじょう僧都そうず律師りっしの三役で構成されました。 選定にあたっては、徳行があり、よく徒衆を治め、道俗から尊敬され、僧綱の職にたえ得る者、を徒衆が推挙し連署して太政官に報告するように、と僧尼令に定められていました。 任命は、相当な律令高官と同じような任命形式がとられていたようです。 主な仕事は、戒律に則した僧侶の監督指導と寺院資材の管理でしたが、時代とともに、しだいに栄誉的な地位となり、形骸化してゆきました。
僧位が体系化されたのは奈良時代からです。 760年に僧綱たちが、四位十三階の僧位を提案したのに対し、朝廷は二色九階を定めました。 僧位が明確に定められることは、律令国家のシステムにより深く組み込まれ、それだけ規制が多くなるわけで、それを僧侶側から提案した点が注目されます。 以後、時代により無くなった僧位もあれば、新設された僧位もあり、また仏師や絵師にも僧位が授けられるようになります。 徳川時代になると年功序列で決まることが多く、宗派によって僧位の規定も異なりました。 明治6年、僧位の制度は廃止され、名称のみ残りました。
僧正 僧鋼の最高位。はじめは一人でしたが、まもなく複数となり、大僧正だいそうじょう権僧正ごんそうじょうなどの階級が生まれ、ついにはその数が十数人になりました。 僧都 はじめはやはり一人で、四位殿上人に相当する役職でした。まもなく複数となり、大僧都・権大僧都・少僧都・権少僧都などが生まれました。 律師 戒律を堅く守る徳の高い僧侶ということで、僧都の次で五位に准じました。 僧正と僧都は624年に、律師は698年に定められ、864年には以下の三階が定められました。 法印ほういん 法=教えの特質を示す紛れのない印しるしの意味で、僧正に相当する位です。学徳兼備の僧侶が任命されました。 法眼ほうげん 真実を見抜く智慧の眼という意味で、法印に次ぐ高位で僧都に該当しました。中世以後、医師、絵師、連歌師などにも授けられました。 法橋ほっきょう 法眼の次の位で、律師に相当します。 法眼、法橋などは、寺社の修理、祈祷、造仏、写経などの功績があると与えられました。 |
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