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■円空は岐阜県に生まれ1632‐1695、東日本を中心に活躍した修験系の僧侶です。 ■円空は12万体以上の仏像を作った、と言われています。 ■仏像彫刻の常識を破った円空彫。 ■円空はよく岩屋を修行の場としたので、窟上人とも呼ばれました。 |
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仏像は、お不動様ならば剣と綱、お薬師さんならば薬壷、というように持ち物やスタイルが、儀軌ぎきによって細かく定められています。 円空の作品は、装飾を簡略化し、木目や節目、時には割れ目さえも造形の一部に取り込んでしまう独特の作風で、円空仏と呼ばれています。 昭和30年ころから、その特異な作風が注目され、円空の研究が急速に進みます。名もない山寺や、神社に祀られていた仏像が円空作、と分かるようになり、円空仏探しのブームが起こりました。
岐阜県の神明神社に納められている三体の神像が一番古い作品と言われています。1663年32歳の時の作品です。この作品は写実的で端正なお姿をしています。瞳には墨が入れられ、衣服や烏帽子も着色されています。 初期の作品は丁寧な作りで、円空仏特有の簡素さや野性的なイメージはありません。42歳ころから作品の簡略化が始まります。儀軌にとらわれず、自分が体得した仏様を自由に刻むようになります。 鉈で一気に彫りあげたと思われるダイナミックなタッチで、材料も木っ端仏こっぱぶつと呼ばれるように、木片や廃材のような物にも仏様を見出し彫刻しました。 大きさは数cmから3m超まで、いろいろと存在します。作り方も、立ち木に直接彫ったり、池に浮かべた大木に彫ったり、といろいろな逸話が残っています。 円空仏は、厳しい表情が多いお不動様や仁王様でも、なんとなく微笑んでいるように見えるのが特徴のひとつです。
荒子観音寺名古屋市の由来を記した浄海雑記に、円空は12万体の仏像を作る発願をした、と記されています。そして円空は、生涯に12万体以上の仏像を彫った、と伝えられています。 円空は32歳から彫り始めた、と言われていますから、亡くなる64歳まで毎日彫ったとすると、12万÷(64-32)=3750、一日あたり10体以上彫った計算になります。 元禄3年9月26日10万体を作り終る、と記された作品が奥飛騨にある桂峰寺で発見されています。このとき円空は59歳です。 現在発見されている作品は約5,000体です。北海道から奈良県あたりに分布しています。一番多いのは愛知県で約3,000体です。その内1024体は、昭和47年に荒子観音寺にある多宝塔内で、一度に発見されました。50cm角ほどの木箱に1024体が納められていました。 次いで多いのが岐阜県で約1,600体です。円空仏は神社仏閣だけではなく、個人宅でも大切に祀られている場合が多いので、現存している数はもっと沢山あるかも知れません。 |
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