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■悪い虫、三尸虫さんしちゅう。 ■三尸虫を封じる守庚申しゅごうしん。 ■守庚申では、仏教音楽や念仏行道が行われました。 |
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庚申は、十干と十二支の組み合わせで出来る60種類の符号のひとつです。干は幹、支は枝の意味で、日付や年号に使われます。単体では時間や方位などにも使います。 丙午ひのえうまの生まれ、戊辰の歳に起きた戊辰戦争、甲子の歳に出来た甲子園、などはよく知られている名前です。 庚申の日は60日間隔で来ますから、年に6〜7回あることになります。
道教には、行いの善悪によって寿命が増減する、と言う考え方があります。 庚申の日の夜、人が眠りに就くと、体内に住む三尸さんしと呼ばれる虫が身体から抜け出し、その人の悪い行を司命道人に報告し寿命を縮める、と言われます。 大きい過ちには300日、小さい過ちでも3日、命を縮める、とされています。そこで、庚申の夜は身を慎んで徹夜する信仰が生まれ、これを守庚申と言います。 徹夜して起きていれば、三尸が報告に行くことが出来ない、と言う発想です。また、この日は洗濯、裁縫、夜業、髪結い、山や漁に出ること、夫婦の営み、なども禁止です。 守庚申は庚申待こうしんまち庚申会こうしんえ庚申講、庚申祭などとも呼ばれます。
三尸虫さんしちゅうは体内にいる害虫です。上中下の三種類あります。 ●上尸は頭にいて、眼を悪くしたり、シワを作ったり、白髪を作ったりします。清姑せいこ彭倨ほうこなどとも呼ばれます。
庚申信仰は、奈良時代に日本へ伝わり、まず貴族の間で流行しました。道教で説く三尸説を中心に、仏教、修験道、神道など、さまざまな信仰や習慣が入り混じり、特異な信仰として庶民の間に広まります。 しかし広まりとともに、もとの意味がだんだん忘れ去られ、庚申という日が”庚申さん”として神格化され、庚申の日の夜は、一種の社交場と化してゆきます。 全国各地で庚申の為の組織=庚申講が作られ、庚申堂、庚申塔、庚申塚などがたくさん建てられました。一部では庚申講が、葬儀や金融の互助組織を兼ねたりもしました。
仏教系では青面金剛しょうめんこんごうを祀り、神道では猿田彦神を祀りました。また、仏教の帝釈天と青面金剛の信仰が、混同しているところもあります。 青面金剛は伝屍病鬼とも呼ばれ、もとは鬼病を流行させる鬼神でした。三尸説に似たところがあり、毒をもって毒を制す、のように伝尸病=結核を除く神様となりました。 青面金剛は、九万の眷属を持ち寒山という山に住む、と言われています。また帝釈天の使者で、羅刹とともに毘沙門天の眷族となって、北方を守る神ともされています。 庚申が最も盛んだった江戸時代は、仏教的庚申信仰が中心でした。したがって、残されている尊像は、青面金剛を本尊として三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)の像を祀る形式が一番多いようです。猿は庚申の申さるとの縁もあるようです。 |
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