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■本末制度は、本寺と末寺の関係についての制度です。 ■本末関係は、末寺側からの要請で生まれました。 ■本寺は、本来の寺という意味です。末寺は本寺に所属、統制される寺です。 |
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寺は一族の祈願所=氏寺=私寺として建てられるところから出発しました。 大化の改新後、国家の目的と一致する寺は保護され、国家の管理化に置かれました。これを官寺といいます。官寺は国家の監督を受ける代わりに、経済的保障を受けていました。はじめは2〜3ヶ寺でしたがしだいに増えます。 氏寺でも、有力な貴族や豪族の寺は、官寺に准じた国家の保護を受けた寺もあり、定額寺と呼ばれました。定額とは、寺の定数=寺院数の規制、というところから出ています。
都にある大きい寺は、所有地の税を免除されることが多くありましたが、地方の小さい寺は、国司や豪族よる税の取立てに困っていました。また治安も良くなかったので、地方の小さい寺は都の大きい寺に属し、大きい寺の国とのつながりを利用して寺を守ることを考えました。 ここに本末関係が生まれました。地方の小さい寺は所有する土地を大きい寺に寄進し、大きい寺の末寺という形で、形式的に土地管理人となり寺を守りました。 はじめは政治的な理由から生まれた本末関係でしたが、時間とともに本寺が末寺に対し強い力を持つようになり、本寺は末寺からの収入を重視し、経済的な関係が主となりました。 また室町時代あたりからは、師弟関係によ本末関係もはじまりました。
江戸時代になると、幕府によって寺に関する規則がいろいろ定められ、本末制度は厳格になります。1633年、諸宗末寺帳が作られました。 幕府は本寺の権力を強化し、寺の中央集権化をはかり、さらには檀家制度によって寺を完全に掌握しました。 本山・本寺・中本寺・小本寺・直末寺・孫末寺・彦末寺というような上下関係ができました。おおむね開かれた由緒や構えの大きさで決められたようです。 本山と本寺は同じようなものです。一宗一派の末寺を統率する寺ということです。 本山は根本の山という意味です。平安時代になると比叡山や高野山など、密教系の宗派が山に開かれるようになり本山という名前が使われ始めました。都にあるものは本寺と呼ばれました。 |
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